墓参巡礼のすすめ
去る一月二十一日、加世田聖母幼稚園での講演の後、かねて行きたいと思っていた川辺訪問が実現した。そして、南九州市学芸員から「川辺のキリシタン」について多くを学ぶことができた。
東市来鶴丸城主の奥さんと長男の新納久食堯(ひさあつ)以下家臣15名がザビエルから洗礼を受けた。その後受洗者の数は70名にも上ったという話は「キリスト教伝来と鹿児島」(山田尚二著)に紹介されている。
その久あつは長ずるに及んで50名もの家臣をともない川辺の地頭として派遣された。そして平山には教会も建てたられたのだという。「そのことからして、これらの人々はおそらくあの70名の内の50名だったのではないかと思われる。」仏壇の町にかつて教会があった!学芸員の話に感動を覚えた。
その平山から約四キロ北にある神殿(こうどん)には一族の墓があり墓石には「心」の文字が刻まれていた。研究者によるとキリシタンの墓に多いのだという。
同じ信仰に生きた人々に思いを馳せながら祈りたいと思った。また、「教会跡」のしるしも是非残したい。
時代はうんと新しくなるが、草牟田に教会墓地があったという話は聞いたことがあるかもしれないが全く記憶にない。現在の唐湊墓地に移転したのが50年近くも前のことだというから当時のことは知る由もない。つい最近、「今でも十字架が残っている」という話を聞いたので大変興味を覚え早速探してみた。二回目、管理時事務所で尋ねるとすぐに分かった。なるほど、あの広大な草牟田墓地をほぼ一望に収めることができる景勝の地にその十字架は立っていた。二m×三mほどの区画内にあって、一メートルほどの石柱からなる柵に囲われていて、司祭用だと後で聞いた。
その時の様子はブログにも書いたのだが、あまりにも荒れ果てた様子に愕然とした。「カトリック幽霊墓地」と人々は呼んでいるとも聞いた。何とかしないといけない。焦りのような気持ちに駆られた。
無縁墓も残っているようなので、ここもきれいに整備して、川辺の教会跡とともに巡礼地にしたいと思った。ザビエルを基点に伊集院から東市来、そして川辺。さらに草牟田からは福昌寺あとのキリシタン墓地につながる。こうして、鹿児島教区独自の巡礼の道が整う。さしずめ墓参巡礼コース。そういえば、地図でたどるパウロの道巡礼はどうなっているのかな。


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