ニコッ
カトリック鹿児島教区報・2009年2月号掲載記事
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MEの中間から今年も楽しい年賀状が届いた。デザイナーの彼にとって年賀状作成はお手の物。毎年の干支が鮮やかな色彩のもと、どうやら自分がモデルらしい達磨さんの絵とともに賀状の裏と表に描かれて届くのが恒例。
今年の表には三つの達磨さん。昨年の出来事というタイトル付。最初の達磨さんは念願のガリラヤ湖畔巡礼が実現したのでニコッ。二番目は、金融不安の拡がりに今後どうなるのか心配なのでシュン。そして、最後は派遣切りで多くの人々が路頭に迷うこととなったので企業のエゴにムカッ。そして、ニコッが皆さんの上に沢山ありますようにと結ばれていた。感受性豊かな芸術家の彼らしい平和の挨拶に心からうなづいたのはボク一人ではあるまい。
そういう彼の祈りのような挨拶が、相変わらず暗いニュースの多い日本の社会で現実のこととして体験できたのは嬉しい。身近なところでは、昨年より参加者が二千人も増えたという菜の花マラソン。宿に溢れた人々には自治会が公民館を提供したのだという。また、寒空のもと何時間も沿道に立ち、飲食物を提供した人々、可愛い手に飴玉を差し出す子供たち、さらにバンド演奏に太鼓と地域の全住民が善意の塊となったようだった。疲労した生身の五体には百万ドルのニコッの連続だった。
一方、もっと深刻なところでは、職に食、そして宿を失った人々の生活支援に立ち上がった地方自治体や民間ボランティア。まさに捨てる神あれば拾う神あり。中には、全従業員に雇用不安は与えないと約束した大企業もある。政治家たちも、いろいろと不評を買いながらも世界に先駆けて不況を脱出するのは日本だと頼もしい。
人は、どんな辛い中にあったとしても、いつもシュンとなって肩を落し、誰に対するともなくムカついてばかりいたいわけではない。人間はお互いにニコッを送り合いながら生きて行きたい。そんなDNAを神様からいただいているにちがいないのだ。そうは言っても、わが身を振り返ると、なんとささやかなことでムッとしたり、無愛想になったりすることかと自責の念は絶えない。それでも、神様からいただいた本来の自分に立ち戻りニコッの送り手になるべく、どんな場面でもニコッとなれる秘訣を身に付けたいと思う。


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